神社になくてはならないシンボルといえば狛犬ですが、日本唯一といわれる「狛猫(こまねこ)」がある神社があるのをご存知でしょうか。
今回は狛猫で知られる京都府丹後市の金刀毘羅神社について、その由来を解説します。
狛猫がある峰山の金刀毘羅神社とは
峰山の金刀毘羅神社の由来
金刀比羅神社は文化8年(1811)に、現在の京都府京丹後市峰山町に創建されました。
峯山藩主の京極家は代々、讃岐の金毘羅権現を深く信仰していました。
8代藩主の京極高備(たかまさ)は丸亀、多度津藩の姻戚である京極家の協力を得て、金毘羅宮を勧請し、現在の地に社殿を建立しました。
以来、金刀比羅神社は「丹後峰山のこんぴらさん」として地元民から親しまれています。
境内社・木島神社を守る狛猫
峰山の金刀比羅神社を有名にしたのが、日本で唯一と言われる狛猫です。
金刀毘羅神社の境内社として、木島神社、猿田彦神社がひっそりと並んでいます。
木島神社は別名「蚕ノ社」と呼ばれる養蚕の神様で、この本堂を守るように一対の狛猫が鎮座しているのです。

狛猫が生まれた理由
丹後ちりめん発祥の地
丹後峰山は、丹後ちりめん発祥の地です。
今から約300年前、江戸時代享保年間に、峰山の絹屋佐平治は研鑚と改良の末、ちりめん織の技法を確立しました。
藩の奨励もあって、ちりめん織は丹後一円に広まり、峰山は国内有数の絹織物の集散地に飛躍しました。
峰山の町には、ちりめん問屋や糸屋が軒を連ね、各地からの織物業者で賑わい、周辺の村々では絹を生産するための養蚕が盛んになりました。
養蚕の天敵はネズミ
養蚕の大敵はネズミです。
ネズミはマユや蚕を食い荒らし、養蚕農家に大損害をもたらします。
そこで重宝されたのがねこでした。
蚕が飼われている部屋でネズミを追いやるねこは、養蚕になくてはならない大切な存在だったんですね。
狛猫の紹介
狛犬と同じように、左右の狛猫が阿吽の対となり木島神社の本堂を守っています。
向かって左側のねこは子どもを抱いているので、母ねこのようです。
子ねこの頭に手をのせて口を開けて「阿形」の態勢です。
ちょっと表情が怖いようにも感じますが、子どもを守っているからでしょうか。
母ねこにしがみつく子ねこは、とても可愛らしいですね。
一方、右側は口を閉じた「吽形」のねこです。
前方をしっかり見据えて凛とした姿は父親のように見えます。
まとめ
丹後市では2011年(平成23年)に市民有志によって「ねこプロジェクト」が発足し、ねこと丹後ちりめんをテーマにした「こまねこまつり」を開催し、狛猫は町おこしにも一役買っています。
お近くに行かれた際には、ぜひ「丹後峰山のこんぴらさん」にも足を運んでみてくださいね。
金刀毘羅神社 (住所)京都府京丹後市峰山町泉1165-2 (アクセス) ●山陰近畿自動車道「京丹後大宮IC」から約15分 ●京都丹後鉄道「峰山駅」下車 徒歩約20分 ●丹海バス「金刀比羅神社前」下車すぐ