「夏目漱石は実は犬派だった説」を解説

スポンサーリンク
犬とねこ

明治の文豪・夏目漱石は数々の名作を残しています。

かれのデビュー作で代表作のひとつでもある「吾輩は猫である」のイメージから、当然ねこ好きかと思いきや、実は犬派だったという意外なエピソードが残っています。

「吾輩は猫である」大ヒットまで

夏目漱石は裕福だった生家が明治維新の混乱で没落し、多感な少年期に里子や養子に出され、また実家に戻され、学校も転々とするという複雑な環境で育ちました。

大学卒業後は英語教師の職に就き、その後イギリスへ留学しますが、現地でカタコトの英語を笑われ、病んで一時引きこもりになってしまいました。

帰国後は大学講師になりましたが、前任の小泉八雲の講義があまりに好評すぎたため、学生たちの落胆の空気に耐えられず、またまた神経衰弱になってしまいます。

その後「気晴らしに小説でも書けば?」と友人の高浜虚子にすすめられて書いた「吾輩は猫である」が大ヒットします。

モデルになった黒猫

「吾輩は猫である」のモデルになった黒猫は、どこからか夏目家に迷い込んできた迷いねこで、鏡子夫人に追い出されようとしていたのを見かけて、漱石が家においてやったのでした。

この黒猫にも名前はなく、漱石は「ねこ」と呼んでいました。

「吾輩は猫である」が大ヒットすると、漱石は学生たちからは「猫」とあだ名され、「滑稽新聞」には漱石の顔をしたねこのイラストを「人面猫」として勝手に載せられ、知らない人に無断で家の表札をねこのイラスト入りのものにつけかえられるなどの悪戯の被害にあったこともあります。

そんな経験もありましたが、漱石は黒猫が死んだ時には裏庭に埋葬し、知人に死亡通知を出すほどに悲しんだといわれています。

愛犬の名はヘクト―

夏目漱石は雑種の犬を飼っていました。

赤毛の雑種犬で、漱石はギリシャ神話の勇者にちなんで「ヘクトー」という名前をつけました。

「ヘクトー」とはトロイの王子で、祖国のために命を賭して闘い、不死身のアキレスに討たれたものの、知勇に富んだ名将でした。

忠実で計算がなく飼い主の愛情にこたえる犬の性質は、漱石の好むところだったのでしょう。

漱石はヘクトーがジステンパーにかかるとわざわざ入院させて見舞いにも行きました。

ところがヘクトーは退院後、突然姿をくらまして、一週間後に近所で遺骸が発見されました。

ある屋敷の庭の池の中に死骸が浮かんでいたのです。

首輪に「夏目」と名前が彫ってあったため、知らせが入ったのでした。

漱石はお手伝いさんの申し出を断り、雨の降りしきる中、自身の手で遺骸を引き取りに行きました。

そして、小さな白木の墓標に「秋風の聞えぬ土に埋めてやりぬ」という句をしたためて、裏庭の「吾輩は猫である」のモデルの「ねこ」の墓標の隣に埋葬しました。

まとめ

犬はヘクトーだけでしたが、最初のねこが死んでからも、夏目家では二匹続けてねこを飼っています。

三匹ともに、いずれも名前はなく、ただの「ねこ」だったそうです。

名前もつけない程度の興味しかなかったというのではなく、頑固者の漱石らしく、意地でも名前をつけなかったのではないかと想像します。

複雑な家庭環境で育った漱石は、繊細でナイーブな性格でした。

作家として成功したのちも、胃病などいくつもの病気に悩まされ、神経症にも苦しんできました。

そんなときに心の慰めになっていたのが、犬やねこだったのでしょう。

タイトルとURLをコピーしました